目標はすぐにすり替わってしまう

今年は英語を勉強しようとか、毎日走ろうとか、目標を立ててみても、

実際に進まない場合は目標がすり替わっているかもしれません。

表の目標と裏の目標

例えば英語が話せるようになるという目標を立てたとき、

なぜこの目標を達成したいのかという背景があります。

例えば、仕事で必要だからとか、なんとなく話せたらかっこいいとか。

これをもっと深掘りさせて心の生の声を探してみます。

仕事で必要かもしれませんが、その仕事を断る選択肢もあります。

それをしないのは外されたくないとか、無責任だと思われたくないなどの思いがあるかもしれません。

そういった奥の方にある理由を裏の目標とします。

「英語が話せるようになる」が表の目標で、

「無責任だと思われたくない」が裏の目標です。

裏の目標のパワーはとても強い

ちょっと思い出してみてください。

自分が掲げた素晴らしい目標、例えば「テストで90点をとる!」といったものより、

テストで90点取ったら認めてもらえるかも、すごいやつと思われるかも、

ダメなやつと思われないで済むかも。

そんな「気持ち」を満たそうとした時ほど必死になりませんか?

ダメな人間であってはいけないという目標は、

なんとしてでも達成しなければ私たちは生きていけないのです。

生きていけないと思っている、が正確でしょうか。

崇高な目標を掲げているようで、裏の目標は人間っぽいものなのだと思います。

そしてそのパワーはなんでも成し遂げる力を持っています。

表の目標に裏の目標がとって変わる

そのようにパワーが強い裏の目標ですから、

段々と裏の目標だけに力が集中してしまいます。

英語を勉強していく上で、テストがあったとしましょう。

「無責任だと思われたくない」という裏の目標が強まり、

テストの結果が悪い事態を防ぐために、テストを受けないという選択をしてしまうことがあります。

何にでも理由をつけてテストを引き伸ばします。

一見、勉強は続けているので表の目標へ向かっているように見えますが、

実際には足踏みをしているようなものです。

感情抜きで決断するのはとても難しい

側から見ると、こうすればいいのにと、分かりやすいのですが

いざ自分の事となると色々な理由が湧いて、立ち止まってしまいます。

私たちは感情の生き物なので、感情を抜きにして決断するのは難しいのだと思います。

それであれば、そういうものだと割り切って、

必要なものは「勇気」だと考えるのはどうでしょうか。

やったことがない事だったり、結果に不安があったりするときに、

必要なことは一歩踏み出す勇気だけである、とういことです。

目標のすり替わりに気づいたら直せば良い

ああ、そう言われるとダメな自分にならない事だけを考えていたなと気づいた時、

あとは軌道修正をしてけばいいだけです。

表の目標をもう一度思い出し、裏の目標を表の目標に合わせていきます。

向かっていく方向に差がない方が進みやすいですよね。

この時、裏の目標はポジティブでさらに自分以外に注力したものだと

勇気に繋がりやすいと考えています。

実際私たちは自分の事だけを考えてしまいますが

それでもその中に他者へのポジティブな思いや、

利他的な気持ちがあるとよりパワーある動機を作れると思います。

それは自らを犠牲にするという事ではありません。

がむしゃらに進むという事でもありません。

裏の目標は「感情」の部分ですので、心にすっと落ちないものは目標になりません。

軌道修正は何度も何度も行ってもいいですよね、

試して、また立ち止まってを繰り返していくことで

表の目標のすり替わりを防いで進んでいくことができます。