白黒をつけない、世の中はグラデーションである

良いのか悪いのか、好きなのか嫌いなのか、はっきりさせるのは安心感があると思います。

分かりやすくてシンプルで、すっきりします。

0か100かの極端な選択も悪いわけではないと思います。

思い切りがあっていいなとも思います。

私たちは「正解」を求めてしまう

「あの時どう言えば良かったんだろう」などと、私たちは「正解」を求めてしまいます。

何が正しかったのだろう、どれが正しい答えなのだろう。

気になることがあればすぐインターネットで調べてしまいます。

本当は正解がないものでも、その答えを探してしまいます。

本当は分からないはずの他人の気持ちも推理をして辻褄が合いそうな理由を探してしまう。

常に「正解」を求めて、自分が正しいのだと安心したくなります。

全てに正解はあるのか

他人の考えていることは分からないし、まだ解明されていない事もたくさんあります。

そうなると全てに正解を求めるのは難しそうです。

でも安心するには常に正しい答えが必要になってくる。

そこで私たちは「自分の中での正解」を決めてしまいます。

これが正しいのだから、反対する人は間違っている。

これが正しいのだから、同調するべき。

これが正しいのだから、異なる人は排除するべき。

はっきりした意見を求められてきた

あなたはどう思うの?どうしたいの?この問題の答えは?

私たちは「はっきりとした意見」を求められてきたようにも思います。

ハキハキとしっかりとした意見を言い、それに向かって進む姿は素晴らしいでしょう。

でも自分の考えや感情は常にはっきりとしたものでしょうか。

ぼんやりとした感情だったり、うまく言語化できなかったり。

何かに挑戦してみたくても、強い思いが無いとやってはいけないような気になったり。

本は好きだけど、それほど沢山読まないから好きと言えないと思ったり。

曖昧さを許容する

よく分からない、少しなら出来るかも、よく知らないけど好きなど、

100%ではないけれど思っている事や感じている事というのはあります。

たまに20%や70%程度の事柄は受け入れられないことがあります。

この映画が好きだけど、誰かと話せるほど好きか分からないとなった時に、

この映画好きです!とは言わなかったり、伝えても「あまり知らないけど」等の予防線を張ったりとか。

それは好きな事に違いはないのだから、後ろめたさも、気まずさも持たなくて良いと思います。

曖昧さというのは人間の奥深さを感じれるとても素晴らしいものだと考えています。

完璧はやってこない事を知る

掃除や家事を完璧にこなす、資料作りや制作物を完璧に作る。

高い理想を掲げて、努力を惜しまない、やるならば完璧に仕上げる。

いわゆる完璧主義と呼ばれるような人がいます。

うまく状況とはまればとても素晴らしい成果をもたらすものだとも思います。

もし疲弊してしまうのであれば、完璧はいつまでたってもやってこないという事を知るのも良いでしょう。

明確な基準があれば分かりやすいですが、無いことがほとんどですよね。

「自分の中での完璧」を追い求めるあまり、本来のゴールや目的がすり替わってしまうこともあるでしょう。

想像してみてください、完璧に仕上げるのは一体なんの為でしょう。

そして、その「完璧」は明確なものでしょうか。「完璧」というのは存在しないことに気づくでしょう。

答えが出ない問題

世の中には白黒で割り切れない事が沢山あります。

大好きな人もいれば、少し好きな人もいます。

100%出来ることもあれば、20%出来る事もあります。

全てはグラデーションのように、曖昧な事も沢山あるのではないでしょうか。

はっきりしないとか、気持ちが悪いとか、そういった心を時ほぐしてもいいのでは?

という問いかけでもあります。

もっと力を抜いても大丈夫です。分からない事があっても大丈夫です。

完璧に頑張らなくても、少しだけ頑張るのでもいいと思います。

0から100の間には沢山の数字があるのですから、一歩ずつ進めば良いのです。