よく選択は大事なもののために取っておこうという話があります。
例えば、食べるもの、着るものなどを決めておけばその分体力を温存できます。
本当にその通りだと実感するわけですが、
今回は「自分で決めるのって大変だよね」という事を考えてみたいと思います。
いざ、自分で決めようとすると足踏みをしてしまう
同僚たちがランチに行こうという話しになって、自分にも声がかかったとします。
しかし誘われる時に、
「ランチどう?来ても大丈夫だし、来なくても大丈夫だよ」
と忙しい自分を気遣ってくれました。
はっきり意思が決まっていればすぐ返答できるかもしれません。
行きたい気もするし、行かなくてもいい気もする、こんな曖昧な気持ちって沢山あると思います。
絶対来て!もしくは誘われない方がまだ楽だったかもしれません。
そう、決断を相手に任せる事ほど楽なことはないのですから。
どう返答しようか頭の中は高速回転です。
これはとっても体力を使ってしまいますね。
ランチに行ったら行ったで、仕事大丈夫だったかなとか、
行かなかったら、断って大丈夫だったかなとか、
その瞬間だけでなく後にも引っ張ってしまったりしませんか。
自分で決めるって大変ですよね。
大きな決断ほど、自分で決めなければいけない時がくる
生まれてから私たちはいろいろなライフステージを経てきました。
どちらかというと10代は大人が決断してくれるる事が多いのではと思います。
こうしなさい、ああしなさい、これがいいよと。
誰かの意見に従って決断するのはそこまで大変ではないでしょう。
だって「誰か」に従っただけだから。
社会に出て大人としてスタートを切った時から、全てを自分で決断することになります。
どこで働こう、何をしてお金を稼ごう、どこに住もう、何を食べよう。
しかし、決めることは大変なので、自分が分かっている以上に他人に答えを求めることが多いです。
会社を辞めるか悩んだ時は、誰かに背中を押してもらいたいと思ったりします。
正しくありたいし、正しい決断をしたい。後悔したくない。
でもそのように人生が変わるような大きな決断は、結局自分で決めるしかないという事です。
他人の意見はあくまでも一つの意見でしかなく、最終決定を下すのは自分です。
結果が悪かったとしても自分の決断だった事実は変わりません。
頼れるものもなく、足元に大きな穴が開いたような不安に襲われるかもしれません。
また、未来が変わるような大きな決断ほど、何を基準に決断したら良いか分からなくなります。
そうなると自分を信頼する勇気を持つしかありません。
勇気を出すしかないということは、いつも以上のパワーが必要です。
起きたくない朝に、無理矢理起きるようなパワーです。辛いですね。
そのように決断をするというのは非常に沢山の体力を使います。
さらに後悔したくないという強い思いが余計に体力を奪い、思考停止へと進んでいきます。
察して欲しいは、体力の温存
はっきりしないなぁという人いませんか。
YESかNOの答えが欲しいのに、どうも周りくどい。
結局、場がぼんやりして、広げた風呂敷がいっこうに畳まれない。
多くの人がこのように明確な決断を避ける傾向にあるように思います。
さまざまな理由があるのでしょうが、これでは何も進みません。
いわゆる察してほしいという事なのかもしれません。
決断するのは大変ですからね、分かります。
ああ言ったじゃないと責任追求も恐れているようにも見えます。
そういった傷つきたくない心をそっと懐に忍ばせて、体力温存ということでしょう。
決定権がある人間がこれだと本当に大変です。
それくらい自分で決めるのって大変
そんな肩書きがえらい人も、見送ってしまう「決断」は、
それれくらい大変なのものなのでしょう。
しかし、それができる人は誰よりも広い海を航海できると思います。
結局自分の人生は全て自分で決断することになるのだから、
自ら進んで決断していけば気持ちも楽でしょう。
物事を決めていくという事も慣れでできていきます。
大体何をやっても後戻りや軌道修正できるのですから、
なんでもサクサク決断していけばいいです。
間違っていたら謝って直していけばいいだけです。
気が大きくなって「なんとなかなる精神」で決断するのはあまりお勧めしませんが、
多くの人が言うように日々の小さくな選択を無くし、
大事な選択にパワーをかけるのが良いと思います。